先日、京都で開催されたアンティークフェア2025/6/27fri〜29sunに足をはこびました。
久しぶりのアンティークフェアに、わくわく。
新たな発見や気づき、感銘を受けた話など、忘れないうちにこのブログにまとめておこうと思います。
久しぶりのアンティークフェア
名古屋から福岡に引っ越して、気づけば3年が経ちました。
この土地での暮らしにも制作にもずいぶん慣れた一方で、大好きなアンティークに触れる機会は以前よりぐっと少なくなっています。
名古屋にいた頃は、大須の骨董市や仕事帰りの百貨店の催事、アンティークフェアなど、さまざまな場所で自然とアンティークに出会うことができました。
細工の美しさに見惚れたり、お店の方から聞かせてもらう話に心を動かされたり。
そうした時間は、私にとって大切な制作のヒントを得られる場でもありました。
今回訪れた京都アンティークフェアは、そんなアンティークへの思いを思い出させてくれると同時に、新鮮な気持ちで楽しめたように思います。
楽しすぎて、気がつけば、4時間半会場を回っていました。
アンティークジュエリーの味方の変化
今までアンティークジュエリーを見るとき、「予算内かどうか」とか「自分の制作の参考になるか」という目線が先に立っていたように思います。
ですので、彫りの参考になるようなジュエリーを選ぶことが多かったです。

けれど、今回の京都アンティークフェアでは、ふだんの暮らしではなかなか出会えない“本当に手の届かない領域”のジュエリーを見せていただきました。
素材も技術も当時の最高峰。
量産品では決して出せない緻密さと気品を備えた、まさにハイジュエリーと呼ぶべき存在です。
普段なら素通りしてしまうハイジュエリーですが、今回は何の縁があったのかお店の方から声をかけていただき、いろいろ見せていただくことができたのは幸運でした。
お店の方も、「作りのわかる方に見ていただきたい」と、どんどん見せてくれて作りの話で盛り上がりました。
今まで出会ったお店の方との話の中では、制作された年代や時代背景、素材などの話が多く、作りについて言及されることはほぼなかったので
ジュエリーの美しさの影にある、職人の手仕事に焦点を当てた話に共感と新しい発見がありました。
そしてそれは、何より大きな学びであり、励みにもなった気がしています。
カメオ
最初に目に止まったのはシェルカメオでした。
イタリアっぽいものを探していたからでもありますが…
シェルカメオとストーンカメオの使い分け
ストーンカメオとシェルカメオがあるのは以前から知っていましたが、
・シェルカメオ
軽くて服に合わせやすいため普段使いされた。
ストーンカメオに比べ柔らかく彫りやすいため、量産が可能で比較的手にしやすい装飾品で、グランドツアー(上流階級の教養旅行)のお土産としても人気があった。
・ストーンカメオ
儀式、パーティー、礼装など特別な場面で使用された。
硬質な天然石を使用しているため、繊細な彫刻が可能で耐久性が高い。
手間と技術を要するため、富裕層の格式や品格を表すステータスシンボルとして扱われた。
という、使い分けや役割の違いについては初めて知りました。
コンクシェルのカメオ
そして、今回初めてじっくり見せてもらったのが、コンクシェルのカメオでした。
淡く優しいピンク色で、一目で惹かれてしまう魅力があります。
思わず「かわいいですね。でもあまり見かけませんよね?」と尋ねると、「通常のカメオに使われる貝とは違って、色の層がはっきり分かれていないからなんです。」と教えていただきました。
なるほど——と思いました。
確かに、シェルカメオは色の層を活かして立体感を出しますが、コンクシェルはその境目が曖昧なため、彫りによる表現がとても難しいそう。
優しいピンクをどこに持ってくるかで、イメージも変わりますよね。
コンクシェルのカメオ、欲しくなっちゃいました。
縁取りの金細工
カメオもすごいですがそのまわりを彩る金の装飾枠もこまかかったですね。
粒金や打ち出し、フィリグリーもとにかく細かい。
よく見ると、細い金の平角線を捻って枠にしたものがたくさんありました。
お店の方曰く、打ち出しや透かしに比べれば簡単な技法なので評価が低いそうですが、そうは言っても、あれほど細かく捻った線を何層にも重ねる作業は、私には想像するだけでくらくらしてしまうものでした。
「これを同じように作ってください」と言われても、とても無理です。
細工の精度や手間、かかる時間を思うと、目がまわりそうになります。でも、それだけの時間と集中力をかけて作られたものだからこそ、今もこうして美しいまま残っているのだと思います。
スイスの懐中時計
お店の方がすごいのがあるよと見せてくれたのが、小さなスイス製の懐中時計でした。
文字盤まわりや裏の金属部分に、まるでレースのように繊細なミル打ちが施されていたのです。
最初は「これはローレットでコロコロと転がして打ったものかな」と思いました。
ローレットとは、等間隔の細かいミルを連続して刻むことができる道具です。
効率よく美しく細かいミル打ちが入れられるので、私も時々使います。

けれど、ルーペでじっと見てみるとすぐにわかりました。
これはローレットではない…..一粒一粒、手作業で打たれていると。
並びや間隔はおおよそ整っているのに、完全には揃っていない。
その“ほんのわずかなズレ”が、機械には出せないリズムと手作業の温かみとなっていました。

そして、驚いたのは、そのミルの細かさです。
実際に見比べてはいませんが、私が普段使用している#12番のローレットより小さいのではないかと思いました。
そんな細かいミルが、懐中時計の両面全面に施されている。
一粒ずつミルを打ったと思うと、どれほどの根気と集中力なのか、考えただけで気が遠くなるようでした。
ちなみに、懐中時計に彫りやミル打ちを施すのは、装飾だけでなく滑り止めの効果があるからなのだとか。
誰が作ったか、名前は残らなくても
アンティークのジュエリーは、驚くほどの技術が使われていますが、 その作り手の名前が残っていることはほとんどありません。
お店の方が教えてくださったのですが、 昔のジュエリーはフランス人がデザインし、イタリア人が作り、イギリス人が売っていたと言われているそう。
特に19〜20世紀前半はヨーロッパ各国で分業が進んでおり、イタリアは技術力の高さで制作拠点として重用されていたとのこと。
ヨーロッパの各国が互いに影響しながら、ジュエリーが作られていたんですね。
でも、実際に作っていた職人たちの存在は、歴史の陰に埋もれ、記録に残るのは工房やメゾンの名前のみ。
職人の名前が残らないのは、現代でも同じですが…
名前は残らなくても、職人たちが遺したジュエリーひとつひとつのディテールが、その人の仕事ぶりを物語っていくんだなぁと思うと、同じ物作りをしている者としてなかなか感慨深いものがあります。
イタリア人気質とものづくり
イタリアの職人文化に触れるたびに、いつも思わされるのは、「なんて不思議なバランス感覚なんだろう」ということです。
授業中でも、作業にきりがつくとふらっとカフェに行ったり、
研修した工房の先生は、汗だくになるまでジョギングに行って、シャワーを浴びたらすっと仕事に戻っていました。
自由にふわっとしているようで、仕事に戻ると集中する。
緩急のつけかたがうまいのです。
日本人気質といいますか、私なんかは、行き詰まっているなと思っても、疲れたなと思っても、決められた時間まで頑張ってしまうんですよね。
日本の職人は、まじめで責任感が強いといわれます。
だからこそ、技術の精度も高く、丁寧な仕事に定評があります。
でも一方で「頑張りすぎてしまう」傾向も強いように思います。
自分を追い込み、納期を守るために無理を重ねて、心が疲れてしまうこともある。
その点、イタリアの職人たちは陽気で、どこか良い意味で“いい加減”。
気分が乗らなければ無理に作らない。
でも、ひとたび作業に入れば、驚くほどの集中力と美意識で作品を仕上げてしまう。
その切り替えのうまさと、自然体で技術を発揮する姿勢に、私はいつも感心させられます。
もちろん、イタリア人気質にも向き不向きがあるでしょうし、どちらが良いとかではなく、
「どちらの感性も知っているからこそ、見えるものがある」
ということを、この数年で実感するようになりました。
異なる気質が生む、それぞれの技術と表現。
それを認め合いながら、自分の制作にも取り入れていけたら——
そんなことを、アンティークジュエリーを見ながら考えました。
そして、私が作るもの
今回、フェアで見たアンティークの中に、 フィレンツェ彫りに通じるような植物の表現や彫りの装飾がいくつもありました。
「アンティークジュエリーはフランスやイギリスのもの」だと思い込んでいたけれど、 よく見れば、自分が学んだイタリアの彫金のルーツと重なる部分があることに気づいて、 なんだかとても嬉しくなりました。
手の込んだジュエリーを見て「すごい」と言って終わるのではなく、 「自分だったらどう作るか」を想像してしまうのも、ものづくりをしているからこその目線なのかもしれません。
そして、そういう目で見て、そういう気持ちで手を動かしているからこそ、 私が作るジュエリーには、また違った価値が宿るのではないかと思うのです。
ただ流行に合わせるのではなく、 時代を超えて愛されるようなものを、今日もひとつずつ。
私のアトリエで、静かに作り続けていこうと思います。

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